私が小説を初めて書いたのは40歳ぐらいの時でした。
先輩のFさんが東京に転勤して地方新聞の編集責任者になることがきっかけでした。
Fさんはかねてから私の四コマ漫画の事を知っていて、ぜひ東京に行ったらガバチャにその新聞に載せる四コマ漫画を描いてほしいと言われたのです。
私は困りました。
正月に酒を飲みながら40歳にもなって四コマ漫画なんて‥‥‥とその時は思ったのです。
そこで思いついたのが小説です。
新聞には連載小説があります。
書きためしておいて細切れに連載してもらおうと考えました。
正月の3日間でいっきに書き上げました。
もちろん小説を書くなどというのは初めての事でしたが全く自分でも驚くほどスムーズに書けました。
その時に私は夏目漱石の坊ちゃんを模倣したのです。
私の好きな文体、天才夏目漱石さんのセンテンスの異常に短い小説です。
小説の中身はあまり好きではなかったのですが
あまたの小説を読みあさった私にはこの文体が日本文学史上空前絶後の最高な文章だと思っています。
私の書いた小説は海の環境をテーマにした「南風(まぜ)の海」というものでした。
正月休みが明けた日に、職場のある小説好きの女性にこれこれしかじかで書いたんやけどちょっと査読してもらえんかな、と頼みました。
数日後、その女性は
「驚きました。これはちょっと素人ばなれしています。ほんとに初めて書いたの? もったいないので何かのコンテストに応募したら」
と言われました。
それで、その女性と一緒に応募先を探したらちょうど海洋文学賞と言うのが募集されていてそこに出すことにしました。
その後は、自分でも驚く展開でした。
結果は佳作でしたが、負けた相手は75歳のドキュメントの方だったのです。
東京の表彰式で曽野綾子さんが大勢の前で講評します。
審査員が文学大賞を私のと75歳の方とのどちらにするのかで真っ二つに分かれてものすごくもめました、と。
審査員は他に北方謙三、リングの鈴木光司などそうそうたる方々です。
そして、そのなかにはなんと皇室の紀宮さま(現黒田清子様)も含まれていました。
曽野綾子さんの最後にガバチャさんはまだまだお若いので‥‥‥という下りがありました。
表彰式の後のパーティで私はその75歳の方が一緒に上京して出席されていた親戚一同に囲まれているのを見て、大賞はこの方で良かったと思いました。
パーティの最中に人混みをかき分けて「あなたがガバチャさんですか!」と三人の男女が寄ってきます。
下読みの方たちでした。
この方たちは三人とも多数の応募作から満点をつけたのは
私の「南風(まぜ)の海」だけだったそうです。
小説部門ではダントツ、ドキュメントを入れても間違いなくダントツでしたよと。
なぜガバチャさんが大賞に選ばれなかったのか私たちには疑問です。
と言われました。
正直、副賞の100万円を逃したのは悔しかったけど。
それでも私も次点で30万円もらいました。
立食パーティーで受賞者が紀宮さまと二人で話す機会を与えていただいた時に
「ぜひ和歌山にお越しいただきこのガバチャの釣ったばかりのアユを召し上がってください」
とほろ酔い加減で携帯の電話番号をお聞きしたのですが苦笑いして断られました。
そんなことがあって、私はこれはひょとしたら小説の道でやっていけるんじゃないだろうか、とうぬぼれたのですが、結局その後はいくつか賞はもらいましたが大きな賞金はありませんでした。
もっかトータル70万円ぐらいだと思います。
生きているうちには100万円に到達したいと思います。
って
おい! 結局、金か~い(;^ω^)
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