高知県東部に馬路村という小さな山村がある。
村の八割が国有林で成り立っている村だ。
昭和三十四年の春、その村に林業技術交流団が訪れた。
団は和歌山、奈良、京都の三つ、そして主催の高知を入れた四団である。
林業技術交流団は、その名のとおり林業の技術交流を目的とするものであったが、運動会のような余興も行われた。
競技は、木登りや材木運びなど杣夫にふさわしいものばかりで、村中から多くの見物人が集まり賑わった。
競技の中で最も注目を集めたのは、最後に行われた伐倒競争だった。
伐倒とは杉の木を切り倒すことで、当時はチェーンソーで機械化されていたが競技は伝統的な手法による鋸と斧で行われることとなった。
実際に生えている杉を如何に早く切り倒すのか、希な競に皆の関心が集まった。
最後の伐倒競争になると、会場は小学校から最寄りの杉林に移された。
向かう途中の吊り橋が移動の人でいっぱいになって揺れる。
「こりゃ鮎がようけおるわ。鈴木は仕掛け持ってきたんかのし」
「持ってきた言よったでぇ。こんくらい鮎がおったらあいつやったらじきに百匹は釣るっしょ」
和歌山団の面々は、澄み切った安田川に目を落としながらそんな会話を交わした。
会場に到着すると、各団から選ばれた伐倒組は山の斜面を駆け上って、あてがわれた巨木の前に立った。
一人は斧、もう一人は子供の身の丈ほどもある鋸を持っている。
和歌山団の鈴木と山野は原木を見上げると言葉を交わした。
試合開始の笛が鳴る。
四組の杣夫達の動きが一機に激しくなり、コンッコンッと斧が杉を打つ音が忙しく響き始めた。
直ぐに、見物人の誰かが鈴木らの組を指さした。
「な、何やあの早さは」
鈴木の斧は杉の木の中腹の一点を寸分の狂いもなく機械の様に打ち続け、徐々にその打点を移動していた。
瞬く間に巨木に大きな受け口が作られていく。
一方の山野は、大きな鋸を目にも止まらぬ早さで引いていた。
木屑が杉林を舞い上がる。
普通は杉の木を倒す方に受け口を作ってから、その反対側に鋸を入れる。
だが、鈴木と山野はその手順を同時進行で行っていた。
互いの判断が少しでも違えば受け口側に立つ鈴木は巨木の下敷きになってしまう、危険きわまりない方法だ。
山野は素早く鋸を置くと、切り口に楔を二つ打ち込んだ。
「あ、危ない。斧手に木が倒れるぞぉ」
審判が身を乗り出して叫んだ。
瞬間、鈴木は斧を打つ手を止めて機敏に身を翻した。ピシッ!
幹が爆ぜる音が辺りの空気を震わせる。
山野がとどめを刺すように再び鋸を引き始めた。
ピシッピシッ! 鼓膜を刺す音は長くは続かなかった。
「ホーエーホーエー」
いつの間にか山野の背中にまわった鈴木の澄んだ声が森の中に木霊する。
ザッザザザッ! 山鳥が慌てて飛び立った。
巨木がゆっくりと傾いて仄暗い森に光線が差し込む。
ガササササッ、バリバリバリン、ズワッシャーン!
地響きで辺りの地面が揺れ動いた。
埃が陽光を這い上がるように天に向かって一直線に昇る。
他の組が呆気にとられた顔で鈴木らの方を振り向いた。
「鈴木山野組、十三分!」
審判の声が高らかに響いた。
小さな子供が鳴き声を上げる。
見物人らのざわめきが止まない。
直径一メートルもの原木を切り倒すには普通三十分以上はかかる。
鈴木らはその半分以下の時間で切り倒してしまったのだ。
色白の鈴木は大きく息を吐くとタオルで汗を拭った。
周りの杣夫は皆顔も煤汚れているが鈴木だけは違う。
一見、映画俳優のようだ。
村の女、南好子の視線は鈴木だけに向いていた。
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