翌年、好子は女の子を出産した。

 だが、鈴木には他にもう一人女がいた。


有田川上流にある鮎囮店の高瀬佐知恵である。


鈴木は和歌山県南端の串本に住んでいたが、夏場になると紀伊半島の川を鮎釣りで転々としていた。

そんなことで鈴木は佐知恵と知り合ったのだ


そして、佐知恵もまた鈴木の子を妊っていた。

結局、鈴木は好子と籍を入れることになったが、一方の佐知恵は好子の出産の翌年に男の子を出産し未婚の母となった。


 昭和三十七年、全日本鮎釣り連盟の発足と共に第一回全国鮎釣り大会が開催された。


 決勝に上がったのは、和歌山県の鈴木徹斉と栃木県の荒川満夫だ。


 二人の釣法は全く対照的で、鈴木は囮鮎を流れに逆らって上流に泳がせる「泳がせ釣り」、荒川は囮鮎を下流に引く「引き釣り」だった。


「泳がせ釣り」と「引き釣り」のどちらが釣れるのか。

 二人の出身が関東と関西ということもあって、取り巻きらの舌戦が激しくなった。


決勝戦は、長野県の天竜川で行われた。


当日、河原で向かい合った鈴木と荒川を見て橋上の観衆らから大きなどよめきが起こる。

鈴木と荒川は、相手に肘鉄をかますような格好で長竿を肩に担ぐと直近で睨み合った。

試合と言うよりかはまるで喧嘩だ。


試合開始の笛が鳴り響く。

再び観衆がどよめいた。


なんと二人はくるりと背中を向け合うと、隣同士のままので竿を構えたのだ。

鈴木の鮎は上流に、荒川の鮎は下流にと、真ん中に鏡でも立てて見るような状態となった。


「なんじゃあこりゃ、鈴木の足下から天竜川は反対向いて流れとんのかぁ」

そう言って酔っぱらいが高笑いをした時だった。


鈴木の釣糸に付けてある真っ赤な毛糸の目印が、一回転して上流にぶっ飛んだ。


「か、掛かったぁ!」

長竿がへし折れんばかりにギイギイとしなる。

三本針に刺された野鮎が、ギラリギラリと腹を返して水中で暴れ狂


伸びきった釣糸は激流を縦横無尽に切り裂いて止まない。

鈴木は、たまらず腰を落として横走りした。群衆が固唾を飲んで静まりかえる。


ウッシャーッ」

 鈴木の雄叫びと共に長竿を持った両腕が頭上に伸びきった。

 同時に白銀の大鮎が尾鰭で水面を蹴り上げて空中に舞い上がる。

 猛スピードで鮎が飛んでくると鈴木は素早く腰に差したタモ網を抜いた。


 ドッスンッ!

 底重たい音と共に、二匹の大鮎が目にもとまらぬ早さでタモ網に突入した。


ウッシャーッ」

 再び、鈴木の奇声が清流にこだまする。


群衆がどよめきを取り戻した時には、次の囮鮎が上流で勇ましく腹を返していた。

暴れ天竜と呼ばれるほど急流な天竜川で、鈴木は泳がせ釣りを駆使して次々と鮎を掛けた。


「ええどー、鈴木ぃ」

観衆は、鈴木の不思議な釣りに酔いしれた。


二時間勝負の結果、48匹対19匹の大差で鈴木が圧勝した。

荒川は悔しさのあまり、タモ網を地面に叩きつけるほどだった。

 

 後に人はこの決戦を「伝説の天竜決戦」と呼んだ。